2021年3月28日日曜日

ありんこの営み

 先日、

午後から診察をひかえた平日の午前、野川を榎木橋から国領迄散歩した。満開前とはいえ桜は美しく、人も少なくゆっくり堪能できた。

旧榎木橋は欄干だけで、その下?は遊歩道になっていた。遊歩道や下流の団地の辺りに野川の旧河川の跡らしきものが見られ、今綺麗なこの美しい桜並木のある野川も人工的に整備されたものであることが解った。

本当の自然な姿ではないとはいえ、鳥が水浴びし、桜と土手の菜の花のコントラストが美しかったり、自然の大きさと人間のけなげさを同時に感じた。

人の歴史って、自然に対する人間の欲望の結果かな

2021年3月21日日曜日

鬼になって退散させたい

久しぶりに深大寺行って来た。久しぶりのそばだんごがうまかった。

本堂も修復が終わってきれいになったが、隣の元三大師堂の立派さが印象に残った。


生まれ故郷川越の喜多院の本堂、慈恵堂。ここ数年でたまたま訪れた上野寛永寺、地元深大寺。たまたま全部慈恵大師(元三大師)で繋がった。

この良源っていうお坊さんについて、本でも読んでみようかな

2021年3月14日日曜日

毎朝

 国領駅のホームで、

太陽にほえろと西武警察毎朝聴いてると、なんか気持ちがシャキッとしてくるのだ。


なんとなく選んで住んだ町だが、もう20年以上

2021年3月7日日曜日

つつじの根元 覇者の傲慢

公共事業でも、事務仕事でも、その基本的な部分をおろそかにして進行すると、おもわぬ失敗や時間の無駄を被る、という事だろう。

大きなプロジェクトには、それは小さな事なのかもしれない。でも大きなプロジェクトも小さな(その一つ一つにとっては大きな)暮らしの上に成り立っている。それを忘れると、大きな失敗につながる危険がある。

昨今のコロナ禍にしても、それにより皆が衛生に敏感になり、結果インフルエンザの流行が抑えられている。つまり手洗いマスクなど基本的な事が普段からいかに大切かという事だ。


ところで、

この期間は、家族や近所を見直す時と解釈し、先日は京王多摩川の浜食迄散歩した。健康の基本は食事から、無添加の漬物をみつくろってきた。

炊きたてご飯にお新香アラカルト。絶品